アテネウムの肖像はワシントンの肖像として最もよく知られているが、実際、誰の肖像としても最もよく知られているが、スチュアートはこれを完成させることはなかった。 ヴォーンの胸像や全身像のランスドーンとは異なり、アテネウムには部分的に仕上げられた背景にワシントンの頭と肩だけが描かれている。 なぜスチュアートがアテネウムを完成させなかったのか、その理由は定かではない。 一説には、マーサ・ワシントンに渡したくないがために、未完成であることを理由に持ち続けたとも言われている。 そのため、スチュアートは原本を利用して70枚以上の複製を作った。 これが彼の収入の大きな部分を占めていた。 実際、『アテネウム』が1ドル札になるずっと前から、スチュアートはこの絵を「100ドル札」と呼んでいた。
『アテネウム』は、ワシントンをどれだけよく描いているのだろうか。 レンブラント・ピールは、自分の肖像画と父チャールズ・ウィルソン・ピールの肖像画の両方を宣伝することに関心があったことを認め、「顔の表情」を賞賛したが、「その絵の不正確さ、頭部の真のスタイルと特徴からの逸脱は、フドーニの胸像と比較すれば明らかだろう」と指摘する。 スチュアート自身は、アテネウムをフドーニの胸像に次ぐものと位置づけている。フドーニは、フランスの芸術家が1785年に作成した石膏製のライフマスクを使って彫刻したものである
しかしスチュアートは明らかに、アテネウムがワシントンの容姿以上のものを捉えることを意図していた。 彼はワシントンの人柄を表現したかったのだ。 「知人は、スチュアートが「彼のすべての特徴は、最も強く、最も抑えきれない情熱を示していた」と語ったと回想している。 ワシントンの「節度と冷静さ」という評判は、「偉大な自己管理」の結果であるとスチュアートは認識していた。 国の将来が危ぶまれるなか、ワシントンはすべての人が結集できる人物であり、スチュアートの描く静謐なワシントンは、まさにその象徴となった。 スチュアートのワシントンは、1823年の小説で評論家ジョン・ニールが書いたように、「ワシントンがどうであったというよりも、彼がどうあるべきだったかということだ」
絵が未完成だったことが、その象徴性をさらに高めたのだろう。 「美術史家のリチャード・マクラナサンは、「彼の本能的なアプローチの正しさは、手や道具やアクセサリーを使わずに頭だけを見せることで、その効果を発揮する大きな理由になっている」と書いている。 この時点で、もちろんスチュアートのワシントンは、ドル札がどこにでもあるという理由だけで、ワシントンである。 アテネウムの肖像は19世紀前半を通じて多くの民間銀行券に掲載され、1869年からはアルフレッド・シーリーの刻印により連邦政府が発行する1ドル紙幣にも掲載された。 また、スチュアートの肖像は、1917年にジョージ・E・C・スミリーが彫った肖像画の元にもなっている。 スミリーの版では、シーリー版やスチュアートの原画と異なり、ワシントンは右を向いている。 しかし、スミリー版では、1918年に初めてドルに描かれ、現在も残っている。 1823年の時点で、ニールは「もしジョージ・ワシントンがスチュアートに座っていたように地上に現れたら、証明書を出さない限り、スチュアートの似顔絵と比較して、きっと偽者として扱われるだろう」と書いている
この物語は、コロニアル・ウィリアムズバーグ財団の本「Why the Turkey Didn’t Fly」の中の「Dollar Bills」というエッセーを基にしたもので、ポール・アロンが書いたものです。 この本はwilliamsburgmarketplace.com
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